約束の日2009.3.15 の記事から人間同士を引きつけるのは根本的には愛であり、そこには高次の者だろうと低次の者だろうと問題ではありません。 私は、マザーテレサに会った西洋の建物を第3の目に固定し「意図を定め」ました。 気がつくと、マザーテレサと一緒にあの道を歩いていました。 私は思わず、「あなたの言葉にどれほど励まされたか・・・」といった瞬間、PULがどっと体に流れ込んできました。マザーテレサは笑顔で言いました。 「ほら、上を向いてごらんなさい。下を向いて歩いてはいけません。常に希望を持って明るく楽しく生きなさい。いい、勇気を出して。自分自身の力を信じなさい。」 しばらく歩いていると、マザーテレサはこんなことをふと言い始めました。 「約束の日は近いの。」 「えっ、それはどういう意味ですか?」 「ゲッセマイネ。地上に楽園が実現されるのよ。」 私はクリスチャンではありませんから、キリスト教用語はよくわかりませんが、キリスト教ではこのような日が来ると教えているのではないかと思います。 しかし、これも実は、何度もこのブログで申し上げているように、言葉通りに受け取ってはいけないのです。 続けて私は、「どのようにしてそれを実現するのでしょうか。」と聞きました。 すると、マザーテレサは「自分にやさしく、家族にやさしく、他人にやさしく、すべての人にやさしくすることよ。」 「それは、あなたにとっての真実ですか?」 「そうです。真実であり、真理です。 いい?、たとえどんな理由があろうとも、他人を傷つけるような言葉を言ってはだめよ。 あなたには私がついています。 私だけでなく、あなたには大勢の見方がついていて、あなたが呼べばいつでも駆けつけてくれるから安心して。」 「この前、あなたからPULが届いたように感じたのですが・・・」 「そうです。あれは私よ。あなたが私の言葉を多くの人々に伝えてくれたおかげで、その人たちを大いに励まし、勇気づけてあげることができたからです。 私にとってこれほどうれしいことはありません。だからそのお礼をしたんですよ。」 私がここまでの話を記憶しようとステートスペシフィックメモリーを働かせていると、マザーテレサは笑いながら、 「あなたの言葉で伝えてくれればいいわ。 いい、自分を信じることよ。 最終的には、すべて自分の判断で決め、すべて自分で責任をとるのです。 何も心配はいりません。何かあったら、私の言葉を思い出しなさい。 その言葉の背後にある意味をつかみ取るようにしなさい。 (笑いながら)さあ、メモを取りに帰って。」 |